その日の朝は──凄かった。 完成したばかりのアルカディア弐号艦の艦内中に色とりどりの電飾。 メインデッキには大きなもみの木。木が気の毒になるほど、こちらにも電飾が施され、変な人形などが吊されている。この分じゃ、多分外にもおめでたい 飾り付けがされているに違いない。 俺、大山敏郎が珍しく早起きしたせいなのか。その日は朝から目に映る全てが 浮き足立っていた。 「あ、おはようトチロー」 ハーロックが起きてきた俺を見つけて駆け寄ってくる。浮き足立っていると いえば、今日の彼の服もおかしい。いつもは青い気密服をきっちりと着こなしているというのに、この日に限って妙な赤い服を着ている。 「見てくれよ。これ、クリスマス仕様なんだぜ。サンタっぽいだろ」 ハーロックは自慢げに俺の前で両手を広げ、くるりと回転してみせた。 襟元と袖口に白いファーがついた真紅の気密服。よく見ればブーツの口にも 同じようにファーがついている。 「なんだよ、それ。変な服。流行ってるのか?」 俺はあくび混じりに尋ねた。いつものハーロックなら、真紅の服など絶対に 着ない。赤は女の子が着るものだ、というのが彼の持論だ。ただし、マントの 裏地に使う分には構わないらしい。裏も黒で良いじゃないか、と言うと、 それは違うのだと変にこだわる。俺は何でも良いと思うのだが。 「何言ってるんだよトチロー。流行ってるわけないだろ。っていうか、 常識だよ。常識! 一年に一度のお祭だ!!」 俺の頭をくしゃくしゃと撫でて、ハーロックは上機嫌だ。 そういえば面倒くさがりのヤッタランでさえ、先程から活動的に動き回って いる。 これもお祭りとやらの効果だろうか。しかし、何の祭りなのかが判らない。 作物の収穫を祝うには遅すぎるし、かといって豊作を祈るには早過ぎる。 そもそも、俺達は海賊なのだから作物の出来不出来には関係がないし、祭と いう割には御輿も山車も出ないようだ。ついでに言うなら出店もない。よく考えたら神主もいない。 ──ひょっとしたら、気の早い正月なのだろうか。俺がそう言うと、 ハーロックは「あはははは」と大口を開けて笑った。 「なんだよそれ。トチローは冗談が好きなんだな。本日はクリスマスだろ! 本当はイブから祝いたかったけど、ここのところ忙しくて準備出来なかった からさ、今日は朝から張り切るわけだよ」 トチローも手伝ってくれよな、とハーロックは無邪気に俺の顔を覗き込む。大きな鳶色の瞳の中に、とんでもなく疑問符を飛ばした俺がいた。 「──…なんで?」 赴くままに尋ねる俺。「は?」とハーロックが目をぱちくりさせる。 ──どうでもいいけど美少年という人種は、驚いても美少年らしい。 長い睫毛と整った鼻筋。見開いた目の中には星がきらきら瞬いている。 左頬を走る傷跡さえなければ、彼は大層綺麗な顔なのに。 「トチロー? おいトチロー。嫌だな、お前、どっか体の具合が悪いんじゃ ないか?」 心から心配そうに俺の額に手を当ててくる。俺は慌てて我に返り、ぶんぶんと 頭を打ち振った。 「な、なんでもない。なんでもないよ。どちらかというと気分は良い方 なんだ。早起きもしたし。それより祭って何だよ。さっきも言ったけど、、 正月のことだろ? それなら、こんな祝い方じゃなくて、色々と買い付ける ものが」 「ショーガツ? なんだいそりゃ」 今度はハーロックの頭上に疑問符が飛ぶ。 「ショーガツ……はて、聞き慣れない言葉だな。あぁ、そういえば 昔親父に聞いたかも。Dr大山の好きな日本の行事だ。確か新年を祝うだの 何だの。日本版クリスマスだな、トチロー!」 「に、日本版くりすます?」 栗、済ます。咄嗟に俺の脳内で間抜けな漢字変換が行われる。 多分、否、絶対に間違った変換だ。済ますったって、一体栗をどう済ますと いうのか。棲ますのか、澄ますのか。……栗を? ──我ながら馬鹿なことを考えた。俺は激しく内省し、素直にハーロックに教えを請うことにした。 「なぁハーロック。くりすます、って何だ?」 「──……へ?」 きょとん、を通り越して呆然とハーロックが立ち尽くした。どうやら、俺は 訊いてはいけないことを尋ねてしまったらしい。事態に気付いたヤッタランが、 背後から「何やねん」と助け船を出してくれた。俺は取り敢えず彼の方に視線を移す。 「あぁ、その。忙しそうにしてるから、何してるんだって訊いたら、その」 「ふーん、トチローはんクリスマス知らんのや? クリスマスちうのは、 旧ヨーロッパの伝統行事や。新年を迎えるための大事な日やで」 さすがは副長ヤッタラン。一瞬にして状況を悟ったらしい。真紅に塗られた(あれもクリスマス仕様なのだろうか)アルカディア号のプラモデルを玩びながら、さらり、と俺の疑問に答えてくれた。成程、と俺は深く頷く。 「だから正月を日本版クリスマスなんて言ったのか。わかったよ。俺は こう見えても理解力のある男だぜ。たとえ異教徒の祭であろうと、邪魔 なんかしない。安心してクリスマスとやらを祝ってくれ」 「えっ!? トチロー、一緒に祝わないのか?」 俺が踵を返した途端、ハーロックが正気に戻った。ぎゅ、とポンチョの端を 掴まえ、俺の足を止めにかかる。 「異教徒なんて言い方、時代錯誤だろ。一緒にクリスマスパーティしよう。 夜までに飾り付けして、七面鳥喰って、シャンパン空けて、プレゼント交換 するんだ。俺とヤッタランだけじゃ寂しいだろ? 俺がサンタさんやるから ──な?」 切なげな口調ではあるが、ポンチョの端に込められた力は尋常ではない。 第二次成長期に突入し、ハーロックは急激に大人の体になっていく。それなのに、頭が体の成長についていかないとは何事だ。俺は、刀の鞘で思い切り彼のみぞおちを突いてやった。 「ぐわっ……ッ。痛い! 何するんだよ、トチロー」 「馬鹿。俺は神道だ。クリスマスなどという行事は神道にはない。 やるのは勝手だが、巻き込むのはよせ。国際紛争ものだど」 「異文化コミュニケーションが大事だって思わないのかよ。 ホーケン社会の遺物だぞ、そんな考え」 「封建的で結構」 俺はさっさと歩き出す。「待てよ」と、ハーロックがなおも追い縋ってきた。 「良いじゃないか。俺、ショーガツちゃんと祝うからさ。せっかくの オメデタイ日なのに喧嘩したくないよ、俺」 「興味ない。アルカディア参号艦の構想でも練ってるよ」 ──本当にどうでも良い。俺がそのように言うと、ハーロックはふるふると拳を震わせた。見る見るうちに頬が紅潮していく。 「──そうかよ。俺、トチローはもっと優しい男だと思ってた」 「ご期待にそえなくてスマンね。大体、異教の祭なんかに参加したら、俺は 俺を愛してくれる鋼鉄と炎の女神の寵愛を無くすよ」 「トチローは神の存在を否定する超理系なんだと思ってた!」 「物を造る人間なら、小さくても自分だけの神を持つものさ。特に、大山家 は代々炎と鋼鉄を扱ってきた“マイスター”の家系。そして、唯一神を 持たないのがアミニズム文化の真骨頂だ」 「……トチローの馬鹿!!」 ハーロックが真っ赤になって叫ぶ。大きな目には涙さえ浮かんで。俺は一瞬 呆気に取られた。 「ば──馬鹿だと?」 「そうだ! この馬鹿!! 馬鹿馬鹿馬鹿の頭でっかち! 頑固者!!」 どチビの豆タヌキ野郎、と言うだけ言って走り去る。言われたい放題 言われた俺は、暫く口を開けたまま立ち尽くした。 「──なんだぁ? アレは。反抗期か、積み木崩しか」 「……トチローはん。残酷系やで、そりゃ」 数分後、ようやく声を出した俺を、ヤッタランがじっとりと睨む。 「ジュニア、トチローはんとクリスマスするの楽しみにしとったのに」 「なんで」 俺は思い切り眉を寄せる。そもそも、無宗教者のハーロックがパーティだけ したがるというのもわからない話だ。 「トチローはんは頭がええから考え過ぎとるねん。もっと簡単に考えたってや。 宗教がどうとかやなくて、ジュニア、寂しいねん」 電飾のコード片手にヤッタランが俯く。俺は再び「なんで」と問うた。 「いつも一緒にいるじゃないか。俺をタイタンから連れ出す時、一人じゃない と言ったのはハーロックだ。約束通り、俺達はいつも一緒だ。そりゃあ少し は離れることもあるが……」 ──基本的には、気持ちが繋がっている筈なのだ。どこにいても、同じ志を 抱いていると信じてきたのだ。ハーロックが掲げた自由の旗を、俺も支えているのだと思っていたのに。 「絶対にお互いの距離を離したりはしないと信じてきたのは…… 俺だけか? あいつにとって、俺はタヌキのポンポコリンの転生 なのか?」 それこそ、寂しい。つーか、虚しい。俺が俯くと、ヤッタランは 「そうやなくて」と首を振る。 「もっともっと簡単なことやねん。その、グレート・ハーロックのこと、 憶えてはるやろ? 半年前に……」 「──…あぁ。あの人は親父の親友で、ずっと俺の英雄だ。あの偉大な人の 最期は忘れないよ」 「あの人、毎年クリスマスにサンタのカッコして地球に降りて 来とったねん」 「──………は?」 「来とったねん」 ヤッタランが実に言いにくそうに目を逸らす。俺は──物凄く真っ白になった。 「な、なんだよソレは。だって、グレート・ハーロック……」 偉大な、偉大な宇宙海賊。太陽系最強の戦士。 そして、何より俺よりも俺の親父、大山十四郎を知っている男。 「グレート・ハーロックだぞ? うちのハーロック・ジュニアじゃねぇん だぞ?」 「ジュニアのおとんやもん。実際のハナシ」 ──グレート・ハーロックはハーロックの親父。残酷な事実を再認識。 がらがらと俺の英雄像が音を立てて崩れていった。 呆然唖然とする俺の正面で、ヤッタランは「それでな」と続ける。 「ジュニアがサンタの正体を知ったんは最近やったんやけど……。 何せサンタがおとんやろ? サンタさんのグレート・ハーロックは もうおらへんねん。寂しいねん」 「……いくらサンタとやらの扮装をしてたからって……。気付けよ。 血を分けた実父だろ。一応」 「サンタの謎と魅力の前では全てがネバーランドや。それがヨーロッパの 子供やで。トチローはんクールやさかい。理解出来へんかもしれんけど」 「…………」 俺は言葉を失った。と、いうか何を言ったら良いのかわからなくなった。 母と共に父を亡くしたハーロックの悲しみ。それは、共に見届けた俺が一番よく知っている。そして、ハーロックが俺なんかよりもずっと感傷的な男である ということも。 ──しかし。それ以上に俺の頭の中を支配するサンタのグレート・ハーロック。 サンタ、というのはあの真紅の服をきた恥ずかしい生き物のことなのだろうか。 何という恐怖。まさにコペルニクス的展開だ。 「トチローはん、ちょっとでええからジュニアのこと慰めたってな。わいに 慰められるより何より、トチローはんが優しく頭とか撫でたる方が、 ジュニアは喜ぶねんで」 「………善処しよう」 激しく混乱しながらも、何とか俺は言葉を絞り出す。ほなな、とヤッタランは再び忙しく廊下を行き来し始めた。 ──実はアイツの方が俺よりずっとクールなんじゃないか? 俺は、背中に変な汗がにじむのを感じた。 |
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